フランス観光の定番 – モン・サン・ミッシェル入門

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フランスの人気観光地の一つ、モン・サン・ミッシェル。名前はもちろん、その姿も知ってはいるけれど……、でも本当のところはイマイチよく知らない。そんな方のために、「モン・サン・ミッシェルとは何か?」という観点から、今回はお話ししたいと思います。

出典:www.flickr.com
観光客で賑わう島内 (ここにもキティーちゃん!)

モン・サン・ミッシェルって、どこにあるの?

パリから真っ直ぐ西に340km行った、ノルマンディ地方のはずれ。海岸近くに浮かぶ小さな島が、モン・サン・ミッシェルです。フランス語でモンは山、サンは聖、ミッシェルは名前のことですから、あえて訳せば「聖ミッシェル山」となります。

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ライトアップされたモン・サン・ミッシェル

島のことを山というのは、ちょっと変な感じですが、実際のところ8世紀までは、森の中にある岩山だったそうです。ところが、何らかの理由で地盤沈下が発生。それまでの岩山が、湾に浮かぶ小さな島に変貌してしまったというわけです。

モン・サン・ミッシェルって、そもそも何?

モン・サン・ミッシェルの画像を初めて見た時、あなたは何に見えましたか? ロールプレイングゲームの最終ステージ、まさにラスボスが出てきそうな魔性の島でしょうか。それとも、敬虔な信仰者が集う神の島でしょうか。あるいは、どこかの領主の要塞……。

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まさに要塞と化したモン・サン・ミッシェル

私には難攻不落の要塞に見えましたが、本当のところを言えば、岩山の上に築かれているのは、ベネディクト派の修道院です。毎年300万人ほどの人が、この島を訪れていますが、実際、そのうちの50万人ほどは巡礼の人たちです。

最初に建てられたのは小さな聖堂

708年のこと。モン・サン・ミッシェルの近くにアヴランシュという町がありますが、そこの司教オベールの夢枕に、ある夜、大天使ミカエルが現れて、「あの岩山に私を祀る聖堂を建てなさい」と命じます。それがモン・サン・ミッシェルの始まりでした(ミカエルはドイツ語。それをフランス語読みすると、ミッシェルになります)。

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島の北西端にある聖オベール礼拝堂(内部は非公開)

10世紀の中頃に至り、ノルマンディ公の命令で、修道院の建設が開始。当初は小さなものでしたが、時代とともに、徐々に要塞化が進んでいきます。

英仏百年戦争の時には、イギリス軍による10年間の攻囲にもへこたれず、また宗教戦争の際には新教徒側からの攻撃にさらされましたが、それも見事に防ぎきりました。モン・サン・ミッシェルはパッと見の印象どころではない、本物の要塞なのです。

大革命後は牢獄に!

教会や修道院というものは、はたして権力側に立つ者なのか、それとも民衆に味方する者なのか? 少なくともフランス革命時(1789)のモン・サン・ミッシェルは、間違いなく権力側に立っていたようで、革命時には民衆勢力によって占拠されてしまいます(それ以前から修道院は、政治犯の牢獄として使われていました)。

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監獄だったのは昔のこと。今は観光客で溢れています

そして、難攻不落の修道院は、脱獄不能の監獄へと活用されることになり、「海のバスティーユ」として、反体制派の人間、約1万2千人が送られています。なお、監獄としての利用は、1863年にナポレオン3世の命令で廃止されるまで続きました。

再び修道院へ! そして世界遺産へ

1866年、再び修道院としての活動を開始。1979年には、世界遺産にも登録され、今ではフランス屈指の人気観光地となっています。

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2005年当時のモン・サン・ミッシェル

当初は湾に浮かぶ小島でしたが、陸とを結ぶ堤防道路を建設したことで島の周りに土砂が堆積し、ほとんど陸続きの状態に成り果てていました。そこで1995年。以前の姿を取り戻すべく始められたのが、海洋環境整備工事でした。

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自家用車の通行は不可。環境に配慮して、木の橋が架けられました

そして2015年。20年がかりの工事がやっと終了し、陸とは橋でつながっているものの、大潮の日には、完全な島となったモン・サン・ミッシェルの姿が眺められるようになりました。

(以上)

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