パリの南東約70km。車で1時間ほどで行けるのが、広大な森を抱えた豪華な城フォンテーヌブローです。歴代の王たちはもちろんのこと、あのナポレオンにさえ愛された城とは一体どんなところなのでしょうか。
フォンテーヌブロー城の成り立ち
深い森と華麗な装飾で私たちの心を惹きつけてしまうフォンテーヌブロー城ですが、元はと言えば、王族たちが狩りを楽しむ時のための小さな館にすぎませんでした。管理の行き届いた森は、つまりは王家の猟場ということですね。
豊かな森に囲まれていたからか、王族たちはこの館がことのほか気にいったようで、フランソワ1世(在位1515-1547)からルイ16世(在位1774-1792)に至るまで、次々と増改築の手を加えて行きました。そして出来上がったのが、絢爛豪華な現在のフォンテーヌブロー城というわけです。
ちなみに一番の特徴は、12世紀から18世紀にわたるさまざな様式が混在していること。それがむしろ、このお城の魅力となっているようです。
フランス・ルネッサンスが開花した場所
絵画にフォンテーヌブロー派というのがありますが、それが生まれる契機となったのもこの城でした。
イタリア戦争でイタリアの地を踏んだフランソワ1世は、ルネッサンス文化に感銘を受けるとともに、かの地の芸術家たちを呼び寄せます。あのレオナルド・ダ・ヴィンチもその一人でした。
彼らが活躍した場所の一つが、つまりはここフォンテーヌブロー城であり、この城で学んだ画家たちがフォンテーヌブロー派を形成することになるわけです。
フランソワ1世の回廊
フォンテーヌブロー城の最大の見どころの一つ。長さ60m、幅6mの回廊部分に、多くの絵画が架けられて、さらにフレスコ画や化粧漆喰で装飾されています。
ディアヌの回廊
アンリ4世時代につくられた長さ80m、幅7mの回廊です。ディアナの神話をテーマにした装飾が施されているのが名前の由来。ナポレオン3世によって図書室に改装されました。
玉座の間
本来は国王の寝室だった部屋。ナポレオンが1808年に改装させて、儀式の際などに使っていました。
狩りをするディアヌの像
フォンテーヌブロー城が、もとは猟場であることを象徴しているのが、ディアヌの庭園内にある「狩りをするディアヌの像」です。
さらに足を延ばしてみませんか?
もし美術に関心があるのであれば、フォンテーヌブローからもう少しだけ足を延ばしてみることをおすすめします。
目的地は2ヶ所。一つはバルビゾン派が生まれた町「バルビゾン」。そしてもう一つは、印象派の巨匠シスレーが暮らした町「モレ・シュル・ロワン」です。どちらもフォンテーヌブローから7、8kmといったところですから(方角は正反対)、タクシーを使えば20分程度で行けるはずです。
(以上)