フィレンツェの南西約50km。緩やかに起伏するトスカーナの丘陵地帯の中、突如として現れるのが、塔の立ち並んだ小さな町、サン・ジミニャーノです。今も中世の風情が色濃く残っているとあって、旧市街は多くの旅行者で賑わう人気の観光スポットとなっています。
時代に取り残された町
ちょっと前までは町の中を結構車が行き交っていたのに、近くに高速道路が出来た途端、人の往来が一気に減ってしまって、町や村は寂れていくばかり。日本でもそんなニュースをたまに耳にすることがありますが、それと同様のことが起こったのが、16世紀のサン・ジミニャーノの町でした。
それまでは商業や金融業を中心にして大いに栄え、特に13~14世紀の頃には、コムーネ(都市国家)の一つとして、近隣のシエナなどとも競っていたものでしたが、新しい交通路が誕生したことで町の経済活動は衰退の一途をたどりました。
今も残っている貴重な文化財の数々は、つまりはサン・ジミニャーノが繁栄を誇っていた時代の遺産というわけです。
多くの塔が林立した理由とは?
サン・ジミニャーノの旧市街は、東西が約350mで、南北は700mほどしかありません。そんな小さな町の中に、14本もの塔が立ち並んでいます。いえいえそれどころか、町の全盛期にはなんと72本もの塔が林立していたと言われています。
コムーネどうしの抗争もありましたから、見張り台としての高い塔が必要なのは当然ですが、これだけ多くの塔が建てられたのには、少なくとも二つの理由が考えられます。
一つは、都市貴族たちのステータス・シンボルとして。そしてもう一つは、彼らの間で戦わされる派閥抗争に備えてです。敵方の動きを監視したり、身の危険を感じた時には逃げ込む場所として、高い塔は最適だったのです。
こういった目的のための塔は、多かれ少なかれどのコムーネでも建てられたそうです。そして時代の流れとともに無用の長物となり、塔は邪魔者として壊されて行った。実際、イタリアを回ってみても、サン・ジミニャーノのように多くの塔が残っている町はないはずです。
町の中心「チステルナ広場」
小さな町のことですから、中世の風情を味わいながら、自由に散策をすればいいだけのことですが……、あえて見どころを挙げれば、町の中心であるチステルナ広場と、その隣のドゥオーモ広場ということになります。
チステルナ広場の真ん中に八角形の井戸がありますが、つまりはそれがチステルナ。天水を溜めるための「地下貯水槽」のことです。造られたのは1237年。第2次世界大戦前まで、実際に使われていました。
ちなみに言えば、丘陵の上に築かれた町ですから、水の確保は町にとっての死活問題にあたります。というわけで、広場だけにとどまらず、この町ではどの家庭にも、地下貯水槽が設けられていたそうです。
市庁舎の塔から町を展望しよう!
チステルナ広場のすぐ隣にあるのがドゥオーモ広場です。周りには、コムーネの高官の住まいだった「パラッツォ・デル・ポデスタ」をはじめ、コムーネの政庁でもあり、現在は市役所にもなっている「パラッツォ・デル・ポポロ」、そしてドゥオームこと「コッレジアータ教会」などが建っています。
サン・ジミニャーノで一番高い塔は市庁舎の塔で、高さは54m。町を一望できるだけでなく、トスカーナの丘陵地帯が遠くまで眺められて、その素晴らしさはもう言葉には尽くせません。
もちろん市庁舎自体にも、『神曲』で有名なあのダンテが演説をしたことで知られる「ダンテの広間」など、見どころは満載。建物の一部は市立美術館になっていて、そこではシエナ派の名画が堪能できます。
コッレジアータ教会ではフレスコ画に注目!
地元の人たちがドゥオーモと呼んでいるのが、コッレジアータ教会です。ドゥオーモはまだしも、コッレジアータは初耳。そんな方もおられるかもしれませんが……、コッレジアータというのは、教会を運営する「参事会」のことをいいます。
要するに司教さんではなく、参事会が運営の責任を担っているのがコッレジアータ教会です。司教さんのいるドゥオーモほど格は高くないけれど、一般の教会よりはもちろん上。そんな教会だと思ってください。
さて、この教会の見どころですが……。建てられたのは1056年で、その後1239年に増築。外観だけを見ると、ロマネスク様式の簡素な教会ですが、中は意外というべきか、14~15世紀に描かれたフレスコ画が何とも見事の一言です。
特に見ていただきたいのが、サンタ・フィーナ礼拝堂(南側側廊の奥にある)のフレスコ画。この町の守護聖人『聖女フィーナの生涯』が描かれた名作です。
※ サン・ジミニャーノの旧市街は、1990年に世界遺産に登録されています(登録名は「サン・ジミニャーノの歴史地区」)。
(以上)