パリ散策 #07 – 中世の風情を残す街!マレ地区を歩く

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19世紀以降に行われた都市改造の影響もあって、パリには古い街並みというものがあまり残されていません。そんな中、中世の風情を今なお感じられるのがマレ地区です。一体どんな街なのか、紹介してみたいと思います。

マレ地区って、どのあたり?

マレ地区は、ルーヴル美術館よりも少し東。ノートルダム大聖堂のあるシテ島の、ちょうど対岸にあたる地域です(セーヌ右岸)。大革命以前の貴族の館や広場などが今も残っているとあって、16世紀から18世紀にかけてのパリの面影が味わえます。

photo by John Weiss
マレ地区・バール通り

とはいえ、オシャレなブティックやカフェなどもたくさんありますから、最近のトレンドをチェックしながら、界隈をのんびりと散策してみてはどうでしょうか。特にバスティーユ広場の近くは、新オペラ座の出現とともに、最新の若者文化の発信地として注目されています。

photo by Andrea Schaffer
ユダヤ・レストランが建ち並ぶロジエ通り

パリで最も美しいヴォージュ広場

政治家や貴族たちが住んでいたという、赤レンガ造りの館に囲まれた美しい広場が「ヴォージュ広場」です。完成したのは1612年。大革命が起こるまでは、貴族たちの社交の場として使われていたことから、「ロワイヤル広場 Place Royale」とも呼ばれていました。

photo by Henrik Berger Jørgensen
ヴォージュ広場

建物の1階部分はアーケードになっていて、ギャラリーやレストランなどが並んでいます。もちろん散策中に立ち寄って、芝生でちょっとひと休みするのもいいですね。

photo by side78
ヴォージュ広場を取り囲む建物(アーケード内)

また、文学ファンにおすすめなのが、広場の南東部分にある「ヴィクトルー・ユゴー記念館」です。『レ・ミゼラブル』でおなじみのユゴーが、30代から40代にかけて住んでいた場所にあたります。

photo by David McSpadden
ヴィクトル・ユゴー記念館(ユゴー自身がデザインした壁)

フランス革命発端の地・バスティーユ広場

フランス革命へと発展する最初の事件が起きたのは、1789年7月14日のこと。パリ市民によるバスティーユ牢獄への襲撃でした。その牢獄跡に造られたのが「バスティーユ広場」です。

photo by GhostEYC
バスティーユ広場と「7月革命記念柱」

オペラ・ガルニエとは好対照なのが、広場の東側に建てられた「オペラ・バスティーユ」(新オペラ座)です。故ミッテラン大統領によるパリ大改造計画の一つとして1989年に完成。それを切っ掛けに、若者が集まるトレンディな地域へと変化することになりました。

photo by Henrik Berger Jørgensen
オペラ・バスティーユ

ネオ・ルネサンス様式のパリ市庁舎

セーヌ川を挟んで、ノートルダム大聖堂の向かい側に建っているのが「パリ市庁舎」です。17世紀に建築された後、パリ・コミューン(1871)で焼失。今の建物は1882年に復元されたものです。

photo by Edwin Lee
パリ市庁舎

実はこの市庁舎前広場、建物に向かって左側にはメリー・ゴーラウンドがありますし、冬には子供たちがスケートを楽しんだりもします。

photo by Jean-Philippe Bourque
市庁舎前の冬の光景

貴族の館・カルナヴァレ博物館

マレ地区では、中世に建てられた貴族の館が美術館や博物館として活用されていますが、その中でも代表的なのが「カルナヴァレ博物館」です。

photo by Musée Carnavalet
カルナヴァレ博物館の中庭

ルネサンス様式のもと、1544年に建てられた館内には、マリー・アントワネットの遺品を含め、パリに関する歴史資料が広く展示されています。

(以上)

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