パリ散策 #06 – 今さら聞けない?凱旋門の基礎知識

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シャンゼリゼ大通りの西端に建つ凱旋門。誰でも知っている建物とはいえ、改めて「凱旋門って何?」と聞かれると、意外と答えに窮してしまうのではないでしょうか。ということで、今回は「凱旋門入門」と行きたいと思います。

誰が建てたのか?

日本語では凱旋門と訳されますが、フランス語では「L’Arc de Triomphe」(ラルク・ドゥ・トリオンフ)。「戦勝のアーチ」というほどの意味ですが、要するに戦勝記念碑の一種です。建築が始まったのは1806年。命じたのは、かのナポレオン・ボナパルトでした。

photo by Loïc Lagarde
凱旋門と12月のシャンゼリゼ大通り

とはいえ、ナポレオンの失脚やそれに続く政治的混乱もあって、工事は中断。ルイ・フィリップ王のお声がかりで、やっと1836年に完成をみますが、その時、ナポレオンはこの世になく、彼が「無言の凱旋」を果したのは1840年のことでした(セント・ヘレナ島にて1821年に亡くなっています)。

photo by Benjamin Stäudinger
戦勝記念碑にふさわしい毅然とした姿が印象的

ただし、ナポレオンは生前、オーストリアのハプスブルク家から嫁いできたマリー・ルイーズとともに、この門をくぐってパリに入場しています。もちろん、まだ門は未完成。木枠に布を張っただけの状態でした。

正面の彫刻に注目!

凱旋門は高さ50m、幅45mの巨大な建物です。まずは近寄って、じっくりと眺めたいところですが、残念ながら、地上から凱旋門に近づくことはできません。凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場は、なんと5車線のロータリー。12本の大通りが交わる場所ですから、地下道を使うしかありません。

photo by Dennis Jarvis
『1810年の勝利』(コクトー作)

壁面を飾る浮き彫りは10個。どれも見事なものばかりです。なお、正面左下の彫刻はコクトー作の『1810年の勝利』ですが、勝利の女神から月桂樹を授かっているのは、もちろんナポレオンその人です。

無名戦士の墓

門のところには、第一次世界大戦で亡くなった人たちの「無名戦士の墓」があります。ナポレオンとしては、自身の栄光を讃えるための「世界最大の門」を作りたかったのでしょうが、この門自体は彼の意図を超えて、広い意味での戦勝記念碑となっているわけです。

無名戦士の墓(今でも毎日、追悼の炎が灯されている)

なお、第二次世界大戦の末期、ナチス・ドイツからパリを解放したシャルル・ド・ゴールは、実際にこの門をくぐって凱旋の行進を行いました(広場に彼の名前が付いているのは、そのためです)。

photo by MK Feeney
凱旋門の内側(過去の将軍の名前などが彫られている)

屋上で360度のパノラマを堪能しよう!

凱旋門まで来て、屋上に上らない手はありません。300段ほどの狭いラセン階段がちょっと大変ですが、展望台からの眺めは最高です。夜も遅い時間まで開いていますから、夜景を楽しむのもいいですね(入場料9.50ユーロ)。

photo by Moyan Brenn
展望台から見たエッフェル塔

なお、ラセン階段を上ったところには「アッティカの間」というスペースがあり、凱旋門の歴史が分かるよう、彫刻のレプリカを含め、さまざまなものが展示されています。

パリ観光の最初にどうぞ!

初めての町を歩く場合、地図を眺めているだけでは、いま一つ町のイメージがつかめないものです。その意味で、まずは凱旋門の屋上に上ってみて、パリ全体を眺めてみるというのはどうでしょうか。

photo by Jonathan
シャンゼリゼ大通りの眺め(どん突きの建物がルーヴル美術館)

まるで星(エトワール)が発する光のように、凱旋門からは12本の通りが、四方八方にのびています。それぞれの道をたどって、あそこがモンマルトルの丘で、こちらにあるのがルーヴル美術館。なるほどあれがエッフェル塔か……などなど。そんな風にパリの町を確認しておくと、街歩きもぐんと楽しくなるはずです。

photo by Paul
凱旋門の遠景

※凱旋門のある広場は、1970年にシャルル・ド・ゴール広場へと名称が変わりましたが、それまでは「エトワール広場」と呼ばれていました(名前の由来は上記の通り)。今でも使われることがあると思いますので、注意してください。

(以上)

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