ライン下りとグーテンベルクで有名な町「マインツ」

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最近では地元のサッカーチームに日本人選手が加入していることもあって、マインツの知名度もグッとUPしたとは思うのですが、その実、町のことは全然知らないという方も多いはず。そこで、マインツとはどんな町なのか、ちょっとばかり紹介してみたいと思います。

ライン河畔の町「マインツ」

フランクフルトから、西へ30kmほど。ライン川とマイン川の合流地点にあるのが、ラインラント・プファルツ州の州都マインツです。保養地として名高いヴィースバーデンとは、ライン川を挟んで向き合っており、マインツはラインの左岸(西側)、ヴィースバーデンは右岸という位置関係になります。

photo by Paul Sableman
マインツ市内の風景

人口は約20万人。ライン・マイン工業地帯の中心地の一つではありますが、州内の各地ではブドウ栽培やワイン造りも盛んとあって、毎年8月に開かれるワイン祭りは、ことのほか多くの人で賑わいます。

黄金のマインツ

交通の要衝、軍事の拠点として、古代ローマの時代から重要な役割を担ってきた町でしたが、「黄金のマインツ」とたたえられるほどに繁栄したのは、13世紀にマインツ大司教が神聖ローマ皇帝を選ぶ7人の選帝侯の一人、特にその首席に座って以降のことでした。

photo by barnyz
マインツ大聖堂

旧市街の中心に建っている「大聖堂」は、まさに大司教の権威の象徴そのもの。大小6本の塔を持つ、ロマネスク様式を基調とした壮大な教会堂は、ケルン、トリーアと並ぶ「ドイツの三大大聖堂」の一つに数えられています。

photo by barnyz
マインツ大聖堂の内部

建築が開始されたのは975年。この当時のドイツの大司教座の通例にならって、東西の両方に内陣(儀式を行う場所)が設けられており、東西の長さはなんと109mにも及びます。

photo by JEAN ROBERT THIBAULT
キルシュガルテン

なお、第2時世界大戦時の空爆で大きな被害を被ったこともあり、旧市街といえども、昔のままのものはほとんどありません。そんな中、例外的に残ったのが、木組みの家並みが美しいキルシュガルテン Kirschgarten (桜の園)でした。

グーテンベルクゆかりの地

マインツは、活版印刷術の発明で知られるグーテンベルクが生まれた土地でもあります。政治的ないざこざに巻き込まれて、一時ストラスブールに逃げていたこともありますが、活版印刷術を完成させたのは、ここマインツに戻って来てからのことでした。

photo by
グーテンベルク博物館

マインツ大聖堂のすぐ東にはグーテンベルク博物館がありますので、大聖堂の見学が終わったら、是非とも立ち寄ってみてください。有名は『四二行聖書』をはじめ、多くの資料が展示されています。

大人も子供も楽しく祝う「謝肉祭」

カーニヴァルというか……、地元ではファスナハト Fasnacht と呼ばれているのが、ドイツでも有名なマインツの謝肉祭です(ケルン、デュッセルドルフとともに「三大ファスナハト」と呼ばれています)。

photo by Christoph Aron
大仮装行列の模様

ライン下りの出発点

ライン河畔の古城や景勝地を眺めながら、悠然とラインを下って行く。そんなライン下りの定期船が出るのは、通常、4月から10月中旬までのこと。出発点はマインツで、終点はケルンです(もちろんケルン発もあります)。

photo by barnyz
ライン河畔の風景

最後まで乗れば10時間ほどかかりますが、ラインの両岸の町に寄りながら下っていきますから、途中での乗り降りも可能です。

実際、ライン下りのハイライトはビンゲンとコーブレンツの間、約60kmの区間ですから、マインツ乗船・コーブレンツ下船というプランもありえます(それでも5時間かかりますが)。

※ マインツ・ケルン間の定期船とは別に、ラインを中心としたクルージングのツアーもあります。たとえば、3日間かけてオランダのロッテルダムまでラインを下ったり、支流と運河を利用してウィーンへと向かったりします。

(以上)

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